「財政破綻」&「医療崩壊」という奥の手もあったりして

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財政破綻。
医療崩壊。

これらの言葉には、何やら不吉で良からぬ響きがあります。数十回唱え続ければ(「ざいせいはたんいりょうほうかいざいせいはたんいりょうほうかい…」)ゲシュタルト崩壊によってその意味が破綻するにしても、そこにある不安はやはり取り除くことができません。

しかし我々は、これらに遭遇した貴重な例から何ごとかを学ぶことができます。

夕張市の財政破綻&医療崩壊。その後…

『病院がないほうが死亡率が下がる! 夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ|ログミー』では、医療崩壊に直面した町とそこで働く医者、患者の驚くべき現況が報告されています。

財政破綻や医療崩壊は、その言葉自体が持つ負のイメージから絶対に避けるべきものと考えられています。(あるいはこれを言葉の持つノシーボ効果と考えてみても面白いでしょうが、それはさておき。)これらの負のイメージは、未来の状況を描くことができないという不安に依っているのではないでしょうか?

いつ、どんな状況で、どれほどの規模でやってくるかわからないからこそ、遠ざけて見ないふりをしてしまう。もしかすると、自分が生きている間には起こらないかもしれないな…。

もちろん将来のことは誰にもわかりませんが、現状の社会保障制度が維持できないものである以上、かなりの確度でやってくる日本の未来の形を夕張市が先取りしていると考えることはできるでしょう。

いつかやってくる(かもしれない)医療に頼“れ”ない状況を見据え、医療に頼“ら”ない状況を自ら作り出すことは今からだって早過ぎることはないと思います。医療崩壊という医療に頼れない状況だって、考えられているより悪くないものかもしれませんけれど。

不可避の現実に打ちのめされるより、あり得る状況に備えて自ら対策を立てるというその心掛けがさらに健康観を増進させることになるかもしれません。

あり得る解決策

将来世代に負担を先送りするくらいなら、今、この場で清算してしまおう。借金返済が無理なら無理で積極的に財政破綻し、医療を崩壊させ、できることはできる、お金がなくてできないことはやらない生活を始めるという選択肢だってあります。“割を食わされる”のではなく、能動的に“割を食う”という解決策です。

この自ら働きかける積極的な能動性が、より一層充実した健康観を育むことになるかもしれません。

いずれにせよ、プラシーボプラセボ)が医療において何らかの役割を担えるならば、当社ではそれを積極的に推進していきたいと考えています。

世代間格差を拡大させる医療費の現状や解決策について、あなたならどのように考えますか?
既に多くの方がプラシーボを日常的に使い始めています。

もっと過激なのがお望みですか?

今日丁髷に帯刀で出歩けば「過激だ!」と思われるでしょうが、数百年前の日本であれば、誰も過激だなんて思いませんでした。それって“普通”よね、と。

“普通”も“過激”も、相対的なものです。今は“過激”に見える主張も、数十年後には広く一般に受け容れられるものとなっている可能性を誰にも否定はできません。

有益な情報を全てインターネットで得られるとは限りません。“リバタリアン日本”ご興味がおありでしたら、ぜひご一読&ご一考ください。

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投稿者: 管理人