風邪を早く治すために汗を大量にかく民間療法は間違い?自然治癒力を信じて

2015年11月12日 2016年1月29日

風邪をひきやすい人に限って、かぜを早く治すためにあれやこれや試みることによって逆に治りを遅くしている…なんてことはありませんでしょうか?

プラセボ製薬では、最良の風邪治療法は「自らのカラダに備わる自然治癒力を信じてみること」だと信じています。

対症療法薬を使う人

鼻水が止まらず咳が出るからと言って、「風邪薬」と称する化合物を身体に取り入れ、身体のウイルス排出作用を邪魔する。

熱が出たからと言って「解熱剤」を飲んだり首筋や脇や内股を冷やして体温を下げ、ウイルスの侵攻に対して抵抗を試みる身体の発熱作用を阻害する。

また風邪をもたらすウイルスには何ら効果のない「抗生物質のおくすり」を医師に処方してもらい、わざわざ腸内細菌叢を乱し内臓機能を低下させる。

こうした対症療法薬(症状を止めることを主目的とし、風邪自体は治さない)の作用が身体が持つ自然治癒力の発揮を阻害していることはよく知られるようになりました。

風邪の根治薬はない。風邪を治す薬を開発すれば、ノーベル賞ものである。そんな話もよく耳にします。

売らんかな、売らんかな

では、なぜ製薬企業はこうした対症療法薬を市販薬として広く販売しているのでしょうか?

それは、こうした薬(と称するもの)を飲んでも、もちろん飲まなくても、風邪の症状は時間と共に治ってしまうからです。飲んでも治る。飲まなくても治る。

じゃあ、飲んでもいいじゃん?、という訳で。

もちろんそこには消費者の需要・ニーズがありまして、「とにかく今ここで熱のせいでぼんやりしては困る!」とか、「風邪っぽいけど鼻水たらたら咳ゴホゴホで出勤できないから、今すぐ止めて!」とか、「何もしていないと不安だから、なにか、何でも良いからなにかちょうだい!」とか、そんな要求にこたえるという立派な価値があります。

たとえ治りが遅くなろうが、いつかは治るんだから風邪薬飲んだっていいよね。やっぱ目の前のことが大事だからさ。ってか、やっぱり治るの早くなってない?

価値とは、文字通り価値観に由来しています。信じる者は救われる、はず。

民間療法に頼る人

風邪を早く治すとされる民間療法はそれこそ無数にあるのですが、なかでも有名なのが「発汗療法(はっかん・りょうほう)」

大量の水や清涼飲料水、経口補水液をのみ、厚着をして布団をかぶり、とにかく大量の汗をかく。かきまくる!

最近では至る所でこの方法が批判され、全然意味なし、全く効果なし、脳(視床下部)が司る体温調節機能の邪魔してどないすんねん!とツッコミが入っています。

なぜ発汗療法はこれほど広く知られ、テレビや雑誌やその他メディアで盛んに否定的意見が表明され続けるのでしょうか?

それは、恐らく風邪の治りかけに見られる“ある現象”のせいだと思われます。

○○したら、風邪が治った?

喉に違和感を感じ始め、「あぁ、また来たか…」と悟る。熱っぽくなり咳が出て、鼻水が止まらない。何だかダルイ。何もしたくない。

多くの人が経験する風邪の推移について己の価値観に基づき判断を下し、様々な療法を試したり何もせず休息をしたりして時が過ぎ行くのを待ちます。

しばらくすると、急に、大量の汗をかきます。そう、“ある現象”とは“大量の汗をかくこと”です。

寝ている間にかいていた、じっとりした汗とは違います。ダクダクと溢れるように、下着と寝間着を濡らすが如くに大量の汗をかきだします。

またしばらくすると発汗は止まり、同時に気分は爽快感を取り戻し、熱も下がったみたい。

治った!汗かいたら治った!

発汗療法は、そんな経験則に裏打ちされています。「(何もしていないのに)大量の汗をかく→治る」という流れを繰り返すうち、「(なんとかして)大量の汗をかく→治る」という理論が打ち立てられたのでしょう。

実際に自分の身体に起こった変化を通じて得られた理論だからこそ、信じるに足る。どれほど否定意見を聞かされようとも、経験則を信じたい。

そんな強固な信頼感があるからこそ、発汗療法を続ける人はいつまでも続けるし、否定したがる人はいつまでだって否定を続けるのだと思います。価値観の問題がゴロリと横たわるこの問題に歩み寄る余地も、その必要も取り敢えずは見当たらないからです。

原因と結果の反転

実際のところ、意志や人為の介在しないような生理現象も、身体自身が行う独自の価値判断の結果として現れています。

「何もしていないのに、大量の汗をかく」という現象は、「自然治癒力により風邪が治った」「ウイルスは駆逐・排除され、戦闘態勢を解いてよし」という身体の価値判断に基づき、「これ以上エネルギーを消費して高温を維持する必要はなく、即座に体温を下げよ」という命令の結果です。

発汗療法は、この論理を無視しています。結果から原因を導こうとしちゃっています。

身体の価値判断を無視し、「大量の汗をかけば治る」という誤った前提を採用し、「ねぇ汗かけば治るんだよねぇ?大量に汗かいたんだから治るって判断してくれるよねぇぇえ!?」と自らのカラダに対しモンスター・ペイシェントのごとく迫っちゃってます。

いや、そない体温上げてもうたら逆に脳みそやられるから汗かいて調節せななりませんやん…、それって無駄ですやん…。と身体自身が訴えることもなく、粛々と曝された外部環境に適応するだけ。

最も身近な自分の身体を信用せず、他の何を信用するというのでしょうか?神?

無意識の強み

大事なことなので何度でも書きますが、我々の人生で起こりうるほとんどの事象に対して身体が身体自身をチェックし適切な対策を講じてくれます。そこは意識の介在を必要としない、無意識の領域です。

ただ、私たち人間が進化の過程で備えた(過大な?)自己意識が、身体外の何か、精神作用が生み出した人工物(科学とか)への信仰に基づき介入を要求します。

身体ってほんとバカだからさ、オレっちが何とかしないとダメなのよ~。

こうした、身体自身のもつ神秘的な作用を否定する理論(「身体バカ理論」と呼ぶ)を数々打ち立て、介入を正当化しようと画策します。

逆に、無意識の領域で行われる身体自身の価値判断を信頼し、その神秘的な作用をあれやこれや阻害しないような解釈の方法をプラセボ製薬では「身体カシコ仮説」と呼んでいます。

そこにあるのは、人類が数百万年に渡ってこの地球上で生き延びて来られたという歴史的事実を根拠とする価値観、健康観です。

最良の風邪治療法を「自らのカラダに備わる自然治癒力を信じてみること」だと信じることも、その一環だと言えるでしょう。

プラシーボ効果ともいう

身体自身が持つ無意識の、それゆえ神秘的に見える作用を「プラシーボ効果」と呼ぶことがあります。

偽薬でも効くと思えば効いてしまう思い込みの効果」として過小評価されがちなこのプラシーボ効果ですが、とかく健康に対して不安を抱きがちな、抱かされがちな現代人にとって上記のような健康観を提示する象徴的な存在となるのではないか。

そんな風にも考えています。

風邪をひいたらどうする?

信じてみること、と言っても具体的に何をすればいいか分からないかもしれません。

まずは、不要な対症療法薬を止めましょう。

次に、適切に水分補給をしましょう。汗をかくためではなく、発熱時に増大する水分需要にこたえるため。血流量を増して高温を維持するのに、またウイルスを鼻水に混ぜ込んで体外排出するのに水分が必要です。これに十分な水分を補給しましょう。

あとは、寝るかテレビでも見るかして時間が過ぎるのを待ちましょう。ウイルスに対して戦争を起こした身体に対して、意思が何かをすることは出来ません。邪魔しないようにして、通常の生活動作以上は“何もしない”をするだけ。食べたきゃ食べ、風呂に入りたきゃ入る。でも、普段しないことはしない。

レモン湯やしょうが湯、栄養ドリンクで水分補給ができますし、首にネギを巻くなどのおまじない系代替療法は、“何もしない”をする際の無聊を慰めヒマを埋めてくれたり、親密な誰かに普段以上に気にかけてもらえ自己承認欲求が満たされると言う素敵な価値があります。お好みに合わせて採り入れてみてください。

民間療法(と一部の対症療法薬)の真の価値は「暇つぶし」「コミュニケーション・ツール」にあるのであって、「早期治癒」にあるのではない。だからこそなくならないし、無くなっては困るのだと思います。

アイルランドの劇作家、ジョージ・バーナード・ショーは言いました。

コミュニケーションの最大の問題は、それが存在しているかどうかである

その存在(「ある」か「ない」か)に比べれば、質的観念(「効く」だの「効かない」だの)は些少な問題に過ぎません。お大事になさってくださいまし。

介護用偽薬『プラセプラス』詳細

プラセプラスはAmazonでご購入いただけます

スポンサーリンク


関連記事


記事一覧
介護用偽薬『プラセプラス』詳細

スポンサーリンク