メレンゲ『少女プラシーボ』を聴いてみた

『少女プラシーボ』というアルバム・タイトルに惹かれて、メレンゲさんのアルバムを聴いてみました。

曲目は以下の通り。

  1. 輝く蛍の輪
  2. 燃えないゴミ
  3. 春雨の午後
  4. カッシーニ
  5. ユキノミチ

ジャケットには、印象的な女の子。

季節を感じて

何だか小学校か中学校の音楽の授業みたいですが、『少女プラシーボ』のいずれの曲にもはっきりとした季節が描かれている気がしたので、“季節を感じて”というテーマで聴いてみたいと思います。

それと、どこかにいるはずの“少女プラシーボ”を探しながら…。

輝く蛍の輪:夏

ボクらが遊ぶ「今」は、はっきりと夏であることが示されています。

アップテンポな曲調に乗って遊び回るボクらの輝きを蛍に見立てているのでしょうか?

今が永遠でないことを知るからこそ懸命に遊ぶ“ボク”と、ともに遊ぶ誰かが“少女プラシーボ”なのかもしれません。

PVでは男の子2人ですけれども。

燃えないゴミ:春

四月の冷たい風を感じながら“キミ”を想うスローテンポな曲。

過去と現在が交じり合う場所で織りなされたココロ模様に、不思議と肯定的な気分を抱いているみたいです。

“キミ”が“少女プラシーボ”だから?かもしれません。

声:冬

もう会えないキミにサヨナラを告げる切ない冬の歌。

というか、サヨナラを告げたくても告げられない状況なのかも?

“少女プラシーボ”的な“キミ”はもうどこかへ消えてしまっていて、声は届かない…。

春雨の午後:(冬→)春

キミがいれば前向きになれるボクの優しい曲。

CDジャケットの女の子が“少女プラシーボ”の象徴ならば、「春雨の午後」に描かれた“キミ”がもっともそのイメージに合致するように思われます。

カッシーニ:無

歌詞に「季節をもたない雨」が出てきます。

季節と言うか、日々と言うか、人生にイベントもなく上りも下りもない日常を過去から眺めて不安になって、でも、それでも走ることを止めない決意を感じるポジティブな曲。

ここにもやっぱり“キミ”を気にする“ボク”がいて、“ボク”を見ていてくれる“キミ”のことを“少女プラシーボ”と想定している。のかもしれない。

ユキノミチ:冬

ピンと張りつめた冬の寒さが、音として表現されています。

繋がっていたいのはどうしようもなくココロだけれど、それができないのならせめてコトバと、合わせた手で繋がっていたい…と歌う切ない曲。

“キミ”とのサヨナラが惜しく思われるのは、やっぱりここでも“少女プラシーボ”だからかもしれません。

未だ知らない曲を聴くこと

もちろんアルバムタイトルが各収録曲を象徴していると考える必要もなくって、それこそ自由に聴けばいいのでしょうけれども、中学生や高校生の時のようにストレートに曲を曲として受け容れることが何故だか難しくなってしまった今では、何らかのテーマを自分で(勝手に)設定してみたくなります。

そうしなければ、未知の曲を聴くモチベーションすらなくなってしまうような…。聴き馴染んだ曲を聴いているだけでも、それはそれで楽しいものですけれども。

世界にはまだまだ存在しているはずの未知の名曲と出会いたいなら、テーマを勝手に決めてあれやこれやと聴いてみることをオススメします。“立ち去り難さ”を感じる音楽を求めて。

学校の音楽の授業も、“視点(テーマ)を設定する”視点を示していた点で意義あるものだったのかもしれません。