『からだのひみつ』と進化論で説明がつくかもしれない死や老化という生命現象

2016年2月9日 ---

当ブログを運営するプラセボ製薬では、自分の身体に自信を持つことで新たな(多くの人にとっては、よりよい)健康観が得られるはずだと考えています。

自尊感情の対象に具体的な「このカラダ」を据えてみること(概念的な「このワタシ」じゃなくてね)。カラダが体現する生命システムに信頼を寄せること。生命システムの壮健性に依拠した物語を描くこと。

まぁ簡単に言えば身体その他についてのよりよき「説明」をしてみたくって、それを試みているということです。価値観の押し付けにならないよう、「へぇ、そんな考え方もあったのね。一理あるかも。」みたいな淡い納得感を抱いてもらいたいなって、そんな風に。

身体の秘密

そうした試みは既にあって、というか一部ではドンドコ前に進んでおりまして、今回紹介する書籍『からだのひみつ』(著:田口ランディ、寺門琢己)もその一つ。多数の小説を出版されている作家・田口ランディさんと治療院を主宰されている整体師・寺門琢己さんの対談本です。

ちなみに、文庫版ではなく単行本版の初版は2000年の12月。「世紀末」とか「やまんばギャル」とか出てきますので、時代背景を押さえておくのが良いかも。15年の歳月は、ある意味で大きな変革をもたらし、またある意味ではなーんもかわっとらん、という実感が得られはず。

身体言語(しんたいげんご)

『からだのひみつ』というタイトルの通り、この身体についてのお話があけすけに語られています。その中で出てくる「身体言語」という言葉。一般的には「身体言語」は「ボディランゲージ」と解されるそうですが、ここでは「身体の諸現象をことばにするための道具」くらいの意味合いで使われています。

で、ココが重要なのですが、「身体言語を開拓すること」と、冒頭に挙げた「カラダその他に関するよりよき「説明」を得ること」は非常に近いのです。

直に身体に触れてきた鍼灸師や整体師の知恵は、西洋医学的に否定されがちではあるものの、捨て置くべきではありません。もちろんそのすべてに納得する訳ではありませんが、傾聴に値するものもあるかと。

性的な話題

ただ、本書で触れられる内容には性的な話題がかなり多く、その展開が個人の思想や体験に完全に依拠した“偏った”ものであることに面食らう方もおられるかもしれません(もちろんすべての人はその人なりに“偏って”はいるのですけれども)。

女性性とは、こういうものだ。

男性性とは、こういうものだ。

そうした決めつけについては、ある種の精神的な距離を置いた方がよいかもしれない。とか、言う必要もないのでしょうが一応。念の為。

逆にそうした考え方に触れることで自分自身の考え方が明確にはっきりとクリアに映し出される可能性を秘めた、鏡的価値があるのかもしれませんけれども。

それもこれも「世紀末」のせいだ!ということにして、先へ進みましょう。

「説明」を得ること

身体に関するよりよき「説明」をえること、身体から生起する現象を語る「身体言語」を開拓すること。こうした試みになくてはならないのは、「説明原理」という考え方です。

説明原理?

何かを「説明」するためには、論理性がなければなりません。もちろん自分に対しても、他人に対してもそう。論理性こそが「説明」の要であり肝なのです。

しかし、この複雑系を基礎とする世界では「論理」が成立し得ない事象もたくさんあります。1時間後の株価は予想できないし、10日後の天気も予想できない。そこには「論理」を超えた複雑系システムが潜んでいます。

ただ、人間にとって「論理」を超えるものは不安の対象になりますので、それを打ち消すために、大抵の場合は証明可能性を排除した「原理」を持ち込む癖があるようです。本能と言い換えても良いかもしれない。

「神」とか「運」とか「奇跡」とか「妖怪」とか。あと、「プラシーボ効果」とか。

この、説明のために創出(クリエイト)される原理を「説明原理」と呼びましょう。

複雑系の、このカラダ

同じことは我々の身体にも言えて、単細胞生物ですら複雑系のシステムであり、60兆個の細胞で構成されるこの人一人という恐るべき複雑性を内包したシステムに誰しもが納得する「論理」を見出すことは不可能といってもよいくらい。

少し前まで(一部は今でも継続中)の科学界では「論理」の行き着く先を「遺伝子」に据えて、原因遺伝子による「説明」を試みることが流行りました。が、現在のところ有用な知見は(かつて期待されていた成果と比較して)限られています。

一方、東洋医学に根差す治療体系においては、「気・血・水」や「証」や何やかやを説明原理とする身体言語が発達し、治療家独自の視点も加えつつ現象を語る「説明」を試み続けています。

『からだのひみつ』においても骨盤がどうたら腎臓がどうたらと、それを既に受け容れた人にとっては聞きなれた心地よい身体に関する「説明」が断定的にズバリと提示されています。

こうした「説明」の基となる「説明原理」は、よく言えば経験に基づく直感主義、悪く言えば証明不可能な第一原理主義と言えるでしょう。

つまり、正しいか否かは問題じゃない。本人が納得できれば「説明」はなんでもえぇねん。

エビデンスがどうのこうのと説明の正しさを議論したがる場合も多いのですが、実のところ「正しい説明」は存在せず、ただひたすらに「納得できる説明」を付けるしかないのかもしれないのじゃないかと。もちろん投げやりになっているわけじゃなく、その中でも「より良い」みたいな価値基準が設定できるのではないかと。

では、その基準は何か?

その「説明」が、自分の身体に自信を持つことに資する「説明」がより良い。

この基準では科学的な正しさは価値を失うかもしれないのですが、それでも。

進化論的説明

ただこうした議論においては、「証明はできないけれど、とりあえず進化論を説明原理に据えてみましょうよ」という考えが主流になっています。

そして驚いたことに著者の一人、田口ランディさんはこの2000年発刊の『からだのひみつ』においてその進化論的説明を試みられています。ちなみに「個人の死」と「類としての死」を進化論的に捉えようとする試みは、死や老化の意味論として現在でも盛んに議論されている話題です。

さらには、カラダ自体の疎外や隠蔽を「個人の死」への恐怖なんかで説明してみたり、あとここでは書けないことも色々と書いて(語って)らっしゃってね、「××は早く死ぬべし」みたいなね、それも含め面白いなぁと思いました。

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