『偽薬 – Wikipedia』に見る神学論争

「神は存在するか?」といった結論の得難い議論のことを“神学論争”と言ったりしますが、現代でも形を変えて至る所で論争が繰り広げられています。

例えば、『偽薬 – Wikipedia』。

Wikipediaのウラの顔

プラセボに興味を持った日本人100人の内、120人が参照するであろう『偽薬 – Wikipedia』にはオモテの顔とウラの顔がありまして、ページ左上のタブ(下図)でそれらを切り替えることができます。

オモテ(ページ)

https://ja.wikipedia.org/wiki/偽薬

ウラ(ノート)

https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:偽薬

多くの人は編集記録&編集者同士の交流の場となっている“ノート”なんか見てなくて、解説記事である“ページ”のみを参照しているのではないでしょうか?

それでは実にもったいない!Wikipediaの本当の面白さは“ノート”にこそあるのでした。

『ノート:偽薬』の中身(前半戦)

Wikipediaでは中立性が至上の価値として認識されています。誰かの一方的な利益になるような記載を排除することが、Wikipediaそのものの価値を守っているようです。

呼称・表記ゆれ問題

『偽薬 – Wikipedia』においては「プラシーボ」よりも「プラセボ」が優先されています。「Placebo」がラテン語起源の言葉で、ラテン語風の読みに近いのが「プラセボ」だから&みんなそう呼んでるよ!というのがその理由。

ラテン語風の読みに近いのは「プラセボ」なんですね。へぇ。

項目名問題

「偽薬」という言葉は薬に限定される表現であり、「プラセボ」は偽手術や声掛けなどより広い概念を含むのだから、項目名として「偽薬」を用いるのは適切ではないというお話。

確かにその通り。

『ノート:偽薬』の中身(後半戦)

神学論争、はじまるよ!

Wikipediaは多くのボランティア編集者により記事が作成されています。1記事1人というわけではなく、1記事に対して何人でも何度でも編集を加えられるようにして中立性の維持に努めています。

Q. 中立性とは何か?
A. 神は存在するかもしれないし、存在しないかもしれないと考えること。

『偽薬 – Wikipedia』における神、それは「偽薬効果」です。

「偽薬効果」の存在、非存在

偽薬効果、つまりプラセボ効果は存在しているか?という白熱した議論が後半戦中ずっと続きます。

とてもとても長いのですが、存在しない派の編集を存在する派が改め、また存在しない派によって上書き、再上書き、再々…という編集合戦を経て、存在しない派の方から

この記事はもうダメではないかと思う。対処は不能という事である。(中略)私としては、この記事は諦めることをすすめたい。

との嘆息が洩らされるあたり、超面白いですね。

ちなみに2014年9月現在、「偽薬効果」はあるけれど、否定的な意見もありますよーという形で両論併記が為されています。

科学に対する信仰

プラセボ効果なんて存在しねぃやい!派の人たちは、プラセボ効果を「科学的説明が乏し」く、「プラセボに対する信仰」であると述べています。

何を信仰するもその人の自由ですが、との注釈つきで。

科学に対する永遠の信仰を誓ったと思しき存在しない派の皆さんは、世界中の科学者が「プラセボ効果、やっぱあるで!」と言い出すその日まで自分の考えを他人に預ける覚悟のようです。

何を信仰するもその人の自由ですが。

プラセボ製薬の立場

もちろん当社ではプラセボ効果は存在するとの立場から、これからも非中立的で偏った意見を公表し、プラセボの販売を積極的に行っていこうと考えています。

それは意義のあることだと頑なに信じて。

※当社のプラセボ製品がプラセボ効果の発現を保証するものではありません。念為。